お国柄 商品
お国柄とは、その国や地域ごとの性格や傾向を表す国民性、つまり「その土地に住んでいる人のステレオタイプ」を表す言葉です。
通常は国ごとの性質や風習の特徴を表すときに使いますが、日本では江戸時代まで現在の都道府県はそれぞれ国として統治されていたため、県民性のことも「お国柄」と呼んでいます。
なお、お国柄は日本だけの概念ではなく世界中に存在しており、しばしばブラックジョークや小噺などに、国民性を極端に強調したものが登場します。
たとえば、イギリスは紳士的だが皮肉屋、ドイツは規則や法律に従い合理的、アメリカはヒーローになりたがる、ロシアはお酒(特にウォッカ)が好き、
日本は周囲に流されやすくておとなしい、といったイメージがあり、この設定を使ってさまざまなジョークが作られています。
- 憲法論議の下敷として
- 筆者の思想的立場を抜きにして、明治憲法の成り立ちと特質について堅実にまとめた良書である。伊藤博文や井上毅が日本の歴史・伝統を強く意識して憲法制定に臨んでいたことは、現今の憲法改正論議においても大いに参考になる。また、筆者の強調するように、明治憲法=悪玉/日本国憲法=善玉という二項対立的思考から脱却することも必要であろう。
しかし、明治憲法下において我が国が不幸な戦争に突入していったことは紛れもない事実である。たしかに、明治憲法は議員内閣制の実現への可能性を開いていたし、実際に短かいながら政党内閣が成立した期間もあった。しかし一方で、明治憲法はそれを内側から食い破る危険性も孕んでいたのである。結局、戦争は昭和天皇の「英断」によって終戦を迎えた。それは称えられてしかるべきだが、同時に、明治憲法を逸脱することでしか戦争を終わらせられなかったことに目を向けなければならない。
最後に、憲法は条文よりも運用こそが要諦であるとする伊藤らの考え方は、言葉じりを競うだけのように見える現今の論議を見るにつけ、大いに反省させられるところである。
- 近代・法・日本
- ドイツが第1次大戦の教訓をもとに制定した理想的すぎるワイマール憲法が、逆にナチス
を生み出したことはよく知られている。
本書はそれより前のプロイセン憲法を元にした明治憲法がいかなる思想をもっていたかを明らかにする。
実際現在でも刑法のほとんどは明治期のもとであるし人権主義者や法学者たちもその刑法にあえて異議をとなえたりはしない。
それは少なくとも現在においてもある面では通用することを意味している。
そのようなアンヴィヴァレンツな関係を本書は解きほぐしていき、西洋の法と日本が果たして合致するものかどうかを問いただしている。
- 《保守》と言う名のプロイセンの亡霊。
- 保守主義=自由主義というものは、先進国では、「人権」「民主主義」「自由」というものが、必然的に供わっていなければならないのだけれども、ジョージ・ブッシュでさえ、民主主義の輸出という。
日本の保守主義は、完全に誤読された反動主義でしかなく、いまどきプロイセンの理想持ち出されても、…。「個」の徹底的な抑圧と権威的閉塞がそこには、待っている。まさにフーコーが言った「生政治」バイオポリティックス=刑務所、収容所を理想とした物。
その典型がこの書、彼、または「自由主義史観」=「新しい歴史教科書の会」の思想を知りたければ、理想の書だと思います。
日本を収容所列島にしたければ、彼に従うがいい。ネット族がついてこれるか?
- 判りやすい好著
- 一日も早く日本国憲法を廃し明治憲法への復帰が望まれる
今日にあって,そもそもの明治憲法成立の事情を概観するには
程よい入門書と言えるだろう.ただし,より詳しく
研究したくなった場合,引用文献の数が不足しているだけでなく
2次資料が多いのが不便である.
- 明治憲法の精神を初めて知る
- 「国内的には国民の権利や自由を奪い、対外的には戦争を拡大した元凶=明治憲法」とのイメージを私は抱いていたのだが、それが全くの誤解であったことに気付かされた著作である。明治憲法の精神自体は洗練されていたにもかかわらず、解釈や運用に問題があったのである。美濃部達吉でさえも戦後、「民主主義の実現は明治憲法の下においても十分可能である」として改正不要論を唱えていたそうである。この明治憲法の精神を歪め、立憲政治を崩壊させてしまったのは、軍部や一部の学者のみならず、統帥権干犯問題を政争の具とした鳩山一郎や犬養毅と言った政党政治家だったと言うのも、恥ずかしながら本書を読んで初めて知った次第である。また、伊藤博文、中江兆民、植木枝盛、美濃部達吉らの憲法観を知り、彼らに関しても誤解している部分があったと気付かされた著作でもある。
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