文化人類学 商品
文化人類学とは、人間の生活様式全体(生活や活動)のありかたを研究する人類学の一分野です。人類学には人類の進化など、生物学的側面から研究する自然人類学と、この文化人類学に大別されています。
なお、この名称はアメリカでよく用いられるもので、イギリスなどのヨーロッパ諸国では社会人類学とすることが多いようです。また、日本では民族学(民俗学はこれに関連した別の学問です)と呼ぶこともあります。
文化人類学では、文化について調べるもので、「後天的に獲得され、遺伝によって継承されないもの」「歴史によって形成され、維持・変化を伴うもの」
「ある集団の中で伝達・共有されるもの」を指します。具体的には、宗教や社会制度、伝統、言語、衣食住、生業、音楽や舞踏といった芸能などが対象となります。
- 「知」の偉大なる軌跡に触れる
- 本書を読み終えた後に自分は、これほどまでに「知」の喜びに浸れる著作はそう遭遇できないのではないかと素直に思えた。南米その他へ著者が文化人類学者として実地調査した記録をもとに、人のつながり、生活と風習の成り立ち、社会の構造を検分し思索し、時に文学的な言葉使いを織り合わせながらつづられる文章は、知の宝庫として読み継がれていくだろう。
旅に出る前から著者は、幾つもの疑問や矛盾に直面し向かい合い、その中で尽きせぬ苦悩や時には自分自身への憤りといった様々な感情を素直に吐露している。そういった中で、アクシデントに遭遇したり結果が伴わなくとも、ひとりの人間として研究者として、現地人との対話や共同生活によって、疑問と答えを重ねながら、人間と文化の関係を深く追求していく著者の知の懐の広さと行動力には圧倒される。そして、自分もどこか同じ場所を旅して、場面に向かい合っているような雰囲気に飲み込まれてしまった。文化や文明を築き上げてきた人の偉大さと逆にあっさりと消え去っていくところの描写は、どこか胸深く響いてくるものがある。それは人類の歴史が続く限り止むことはないにしても。
最後に、旅から15年後にようやく旅を正面から振り返り文章にとりかかることができたという100歳になった著者もさることながら、翻訳者であり、著者とも親しい間柄という川田順造氏にも同時に深く感謝をしたいと思う。
- 意図せぬ最高品質の文学
- 人類学者・社会学者のレヴィ=ストロースの随筆・紀行文だが、随所に文学的な性質を帯びている。
私はそれほど多くの本を読んでいるわけではないが、本書は今まで読んだ本の中でも最高の部類に入るものだった。
それなりのボリュームがあるのだが、ボリューム以上の質が底には宿っていて、読み手の洞察力・理解力に応じた教訓を返してくれる。
私は残念ながら文化人類学的素養に乏しいので、理解できない部分も多々あったが、それでもレヴィ=ストロースの知見が卓越したものであることはすぐに分かった。
小説ではないので、意図せぬと言わざるを得ないが、最高品質の文学作品であることに疑いはない。
是非一読をお勧めしたい。
- 本書の人間社会の悲惨への考察は今でも決して古いものではないだろう
- 「私は旅が嫌いだ」という一文から始まる本書は,紛れもない紀行文である.著者レヴィ=ストロースは文化人類学者であり,構造主義を標榜した現代思想の担い手のひとりであるが(ソーカル事件の対象にはなっていない),本書はブラジル時代に行ったブラジルの内陸部を横断する長期調査,すなわち未開民族のフィールドワークの回想である.ブラジルへと渡るまでの経緯,インディオのフィールドワークおよび彼らの習俗について、さらに後述の亡命を経て第二次大戦後フランスに帰国する頃までの体験のいくつかが印象的に語られる.
文化人類学者としてのフィールドワーク,および観察は非常に興味深い.この過程において,後に構造主義と呼ばれる彼の思想の萌芽を見て取れる.そして,彼らの描く文様もそうであるが,なりより特に未開民族の婚姻の構造(親族構造論)は後にアンドレ・ヴェイユによって群論を用いた解析の対象になるなど,僕には人間の持つ構造化・システム化の要求はこのような未開状態にも見られるのかと,大変驚きを覚えたのである(もちろん,ソーカルに言わせると化学や生物学にすら顔を出さない深遠な数学的概念が社会科学に奇跡的にも関係する、というような話は疑ってかかるべきであるが).
また,本書にちりばめられる人間社会の悲惨への考察は今でも決して古いものではない.アジア,特にインドを旅したときのエピソードがしばし挿入されるが,いかに高成長を遂げつつある現代のインドにおいても,このエピソードは通用すると思われる.そして,本書の最後に語られる人類学者と社会,つまり彼の属する社会と,彼が観察すべき未開社会(レヴィ=ストロースは未開社会をエキゾチックだと述べていることもある)との関わり,その乗り越えるべき矛盾についての吐露は秀逸である.
僕は必ずしもレヴィ=ストロースの主張に与しない.特に,仏教と砂漠の宗教(キリスト教・イスラム教)との対比は同意できない(ただし,これは彼がヨーロッパ人であり,僕が無宗教ながらも幼い頃から仏教に触れていることによるだろうが).しかしながら,強引にグローバリズムが推進され,いくつもの民族.文化・言語が消滅の危機にある今(これは国外だけの問題ではない,日本の問題でもある.しかしながら,日本人はそのことについてあまりにも鈍感だ),本書を今一度めくることは価値のあることだろう.
なお,本書は文学としても傑作である.本書の出版後,ゴンクール賞を選定するアカデミー・ゴンクールから、小説でないために『悲しき熱帯』を受賞作にできないのは非常に残念だという旨のコミュニケが発表されたという.ただ,残念なのはやや訳文がこなれておらず,全体的に読みにくいということだ.やはり名文は母国語で味わうべきだろう.
- なぜもっと前に読めなかったのか
- 大学生のとき読んだ椎名誠のエッセイの中に、旅に持っていくのに良い本であると書いてあるのを見たときから読もう読もうと、15年越しにようやく読めました^^;(引っ張り過ぎです!)
読了してみて、なぜもっと前に読めなかったのか、悔やまれてなりません。わたしの持っているデフォルト判断基準がいかに偏ったものか、行動の結果として強力に提示され揺さぶられます。それが気持ちいいのです。
今回読み切れた理由の一つに、塩野七生のローマ人の物語を読んでいたから、というのが挙げられるかと思います。大西洋無風帯に阻まれて、アメリカ大陸は「西洋世界」が最後に出会った未踏地になりました。ローマが作り出し爛熟した西洋世界が未踏地新大陸を陵辱し認識し理解し搾取し破壊し建設し研究し教育してきて現在にいたることをサルトルの同窓生が淡々と描写していく、このエッセイは掛け値なしに面白いのです。
今まで読み切れなかった理由に思い至りました。この本は、噛み締めながらゆっくり読まないと、内容がちゃんと頭の中に入ってきてくれないのです。正月休みにでもゆーーっくり読んでみませんか。
- 最後の一文にノック・アウト
- 紀行文とフィールド・ワークのミックスされたような著作。特に前半部を読むと、レヴィ=ストロースが文学を志したことがある、ということも了解される。現在となってはポスト構造主義者たちの標的になってしまった感のある彼だが、彼の「神話分析」は構造主義を知っていればそれだけで自動的に誰でも行えるようなものではなく、彼自身の優れた知性と、入念なフィールド・ワークに支えられたものだ、ということがよくわかる、格好の書だ。
この大部な書を読了して、最後に何気なく記された一文がずっと印象に残り続けている。「世界は人間なしにはじまったし、人間なしに終わるだろう」。これをペシミズムやニヒリズムと取るか、「人間の存在なんて所詮ちっぽけなもの、ならば生きたいように精一杯生きるだけ」とある意味仏教的に、ポジティヴに取るか、それはひとさまざまのように思われる。
せめて後者の意味に取れるような生き方をしてゆきたいものである。
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