お国柄 商品

お国柄とは、その国や地域ごとの性格や傾向を表す国民性、つまり「その土地に住んでいる人のステレオタイプ」を表す言葉です。
通常は国ごとの性質や風習の特徴を表すときに使いますが、日本では江戸時代まで現在の都道府県はそれぞれ国として統治されていたため、県民性のことも「お国柄」と呼んでいます。
なお、お国柄は日本だけの概念ではなく世界中に存在しており、しばしばブラックジョークや小噺などに、国民性を極端に強調したものが登場します。
たとえば、イギリスは紳士的だが皮肉屋、ドイツは規則や法律に従い合理的、アメリカはヒーローになりたがる、ロシアはお酒(特にウォッカ)が好き、
日本は周囲に流されやすくておとなしい、といったイメージがあり、この設定を使ってさまざまなジョークが作られています。

武士道・米・日本
西部氏の保守思想が他の人よりも難解で且つ際立って魅力的なのは武士道、というものが根底にあるからだ。
 その点で違和感を覚える方もいるかもしれないが、彼の武士道は新渡戸の武士道でも葉隠れの武士道でもなく、地に足をつけ考える、という思想としての武士道である。
 その意味でいえば現在読んでも十分通用する良書であると思われ、返す刀でアメリカ化する日本を
批判しその処方箋を提示している良書であろう。なお西部氏の
翻訳Stepehn NashのHEARTS AND MINDS(The Conflict Between the American way and Japan)(邦題『武士道と日本人』)
もあわせて読むと理解が深まると思われる。
(真正)保守?
伝統回帰?
その伝統とは?
武士道?
彼を主軸とする(真正)保守の対外強硬論は、国民の総意ではなく、
当然国際的に受容されうるわけがなく、関東軍的な武断主義に転落しかねない!また民主主義否定であり、(大正デモクラシーも含めて)
訳のわからない歴史修正主義者(絶対に貴顕とは思えない)の寡頭政治に陥るだけである。
消滅に向かう「国柄」

 西部邁氏の著作に関しては、本書を含め『ソシオ・エコノミックス』(1975年、中央公論社刊)と『60年安保-センチメンタル・ジャーニー』(1986年、文芸春秋社刊)ぐらいしか読んでいない私であるが、さしたる関心もなかった先の憲法違反といえる総選挙(05年9月11日)の結果を知るに及んで、先ず思い起こしたのがこの著書である。
 結局のところ、この選挙で敗北したのは「民主党」でも「抵抗勢力」でもなく、“真の敗者”と呼べるのは、佐伯啓思氏などが既に新聞等で論評している「(真正な)保守の思想」と、西部氏が本書で論難している「薄められた社民(主義)」であった。

 西部氏は、本書において「伝統」あるいは「歴史的(な)○○」といったもの(以下、「伝統」とする)を「国柄」のファンダメンタルな要素とし、我々の当為等の規範・公準をそうした「伝統」に則るよう語っている。しかし、本書を読む限りでは、その依拠すべき「伝統」の内実が見えてこない。それは果たして「武士道モデル」なのか、「清貧の思想」なのか、はたまた、それは皮肉なことに西部氏が批判して止まない「薄められた社民主義」なのか…。
 「(真正な)保守の思想」の退潮、衰滅は、「国柄」の消滅過程と軌を一にしている。私は、その要因の一つが「国柄」の土台となるべき「伝統」の不分明さにあると思えてならない。
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